祇園精舎の鐘の声
そういや祇園(四条河原町)には結構遊びに行ったけど祇園社行ったことないわ
どうもこんにちは。忘れた頃にブログ書くマンです。前回書いたの半年以上前なのやばすぎだろ
もう4月ですね。僕は晴れて社会人2年目に突入しました。1年前のフレッシュな気持ちを思い……思い出………思い出し…………
1+1は?
いやぶっちゃけ思い出せないっす
何だろう、記憶として何となく覚えてはいるんだけど、当時と同じ精神状態に絶対なれない感じ
こういう時、なんか大人になったのかなぁって感じがする。気持ちはいつまでも子どものままなのに。体は大人、心は子ども。厄介なおじさんだなこいつ
というわけで改めて8畳の我が家を見返してみたんですけど、変わってるようで変わってないんですよね。去年の春に引っ越してきたのでもう1年くらい住んでることになる。引っ越し当日に友だちが来てくれて荷物の整理やら家具の運搬やら色々手伝ってくれたことを思い出します。持つべきものは有能な友、ってね。
その1年前から部屋の基本的なレイアウトを変えてないってのはあるんですけど、ベッドがあって、机があって、モニターが置いてて、部屋干し用のハンガーラックがあって、みたいな。でもよく見たら棚が増えてるし、ちっちゃいフェイクグリーンも置いてるし、スペースが余ってたからラグ敷いてるし、モニターも40インチ超のクソでかいのに変わってるんですよ。一見変わってないと思っても実は色々変わってるんですね。部屋も人も。
でも人ってどうやったら変われるんでしょうかね。部屋なんてレイアウトを変えたり、家具を変えたりしたら簡単に変えられる(出費の有無はともかくとして)。でも人は?いつの間にか変わってはいるけど、自分から変えようとするのはなかなか難しい、というか。変わってるようで変わってない、というか。
というのも、成人式の時に同中のメンツから「お前変わらんなあ」みたいなことを言われたのを思い出しまして。自分では結構変わってるつもりだったんですよ。見た目もだし、価値観とか考えとか、中学生の頃とは間違いなく。
でも傍から見た自分って、実は中学生から何も変わってないんじゃないかと思うとちょっと怖かったんですよね。変わってない=成長してないんじゃないかって思えてしまって。身長が変わってない?それは禁句だぞ
そう思うと、自分が自分として23年と少し生きてきて、どれだけ成長したかわかんなくなっちゃって。見た目と肩書きだけ社会人になって、内側はガキの頃と何も違わないんじゃないか、なんて思ってしまう。
きっとこんな精神性だから、死ぬまでずっとこんなこと考えてるんだろう。せめて死ぬ時までには、自分はこれだけ成長できたって納得できるようになりたい。そう思います。
こんだけくどくどと話したけど、ぶっちゃけ俺もいつかは結婚して、子どももできて、幸せな家庭を作り……
作れるといいね
まぁ総じて何が言いたかったのかというと、光陰矢の如し、華の20代もすぐ終わって少年はおっさんになる、老化を自覚してからではもう遅い、っとことですね。親戚の子がとんでもない速度で成長してる気がするとか危険信号ですよ。僕はこないだまで小学生だと思ってた姪っ子がいつの間にか高校受験してました。気がついたら三十路に突入してそうで毎日が怖いです。
それでは、今回はこれで終わり。皆さんも1年前の自分に思いを馳せてみては如何でしょうか。あの頃と比べ前に進めた?